『homeless sweet home』

「わたったわたったわんわわんふひゃふはい」
遠くから、もうだいぶ聞きなれた酒枯れのダミ声が聞こえる。青森(あおもり)は洗いかけの顔をTシャツで拭って、声の方を向いた。市民たちの憩いの場である大きな公園の池のそばを、競馬新聞を片手に一人の男が大声を上げながら駆けて来る。
「やっぱ、辻さんだ」
青森が辻さんと呼ぶ男は、古いコントで頭が爆発しちゃったみたいなヘアスタイルをニットキャップに押し込め、赤茶けた赤茶色じゃなかったはずのチェックのシャツを羽織っていて、一見するとまるでホームレスのようで、実際にホームレスであった。
辻さんはどうやらこっちに向かってきているようで、何言ってるかわからなかった音声は少しづつ鮮明な言葉になっていく。
「当たった、わたった。わんわわんふひゃふあい」
先ほどよりは多少意味のある言葉として聞こえたものの、まだ何を言わんとしているのかはわからない。
それにしても言葉の内容がどうであれ、あらん限りの大声で叫んでるもんだから一帯の視線をひとり占めしている。発生源が普通の人であればただの騒がしさで済んだのだろうが、辻さんは明らかにホームレス然としたおっさんである。彼からは、公園を包むマイナスイオンをひっくり返す性質のマイナスの何かが溢れ出している。自然と、それまでのにぎやかで穏やかな昼下がりの空気はビリビリと引き裂かれていく。子供たちのキャッチボールは止まり、恋人たちのいちゃいちゃは中断され、母に連れられた子は見えないふりを強要されている、若者達は大好きな嘲笑の話題がやってきたことに喜んでいる。
癒しに溢れた公園で、人々が癒しとは程遠い顔をしているのは他でもないその男のおかげさまなのだが、当の本人は少しも気にしていないみたいな様子。逆にそういう視線になれていない青森は逆に恥ずかしくて他人のフリしようとしたけど、みんなから見たら自分も同じ穴のムジナかなと自虐モードでその顔を見ていると、その顔と声はますます大きくアップになって青森の視界を占領していく。
もともとインパクトがある辻さんの顔は実際距離より1mは近く感じるけれど、それがかなりアップで迫って来た頃には、だいたい何を叫んでいるのかがわかった。
「当たった」「万馬券」「280倍」少しづつ解明されていく言葉とズームインし続ける辻さんの顔。インパクトのある顔が直球ストレートで迫ってくるとき、受け手はどんな対応をすればいいのだろうか。
というようりも、あれ、いつ、ちょっい、いつ止まるんだろう。
衝突。
―否、青森はいきなり辻さんに抱きしめられた。
青森は抱きしめタックルをくらった衝撃で、意識が自分ひとりの世界に飛ぶ。
物事はいつも心の準備が整う前にやってくるのだと空ろに思う。自分がこんなところでホームレスのようなことをやっているきっかけだってそうだ、いつか地球に隕石が衝突するその日だってきっとこんな感じでやってくるのだ。これから僕は―
「う、酒クサ」
至近距離では我慢できないアルコールの臭いで青森は自分の世界から帰ってきた。辻さんを両腕で引き離しながらどうしたんですかと聞いてみる。 
「ふふ、青森クン、俺の職業は何だ」
「え、ホームレス?ですか」
「馬鹿野郎」と軽くゲンコを青森の頭頂部に落とし、辻さんは赤マジックで丸の付けられた新聞紙を満面の笑みで指し示して言った。
「バクチ打ちだって言ってんだろ。まぁ、これを聞いたら何も言えんだろう。辻伸介の面目躍如。万馬券、大当たり! 280倍だぜ!」
「え、本当ですか。それ凄いじゃないですか」
「だろ。俺は昔から言ってるだろ。全ての確率は50%だって。だから当たるか外れるかの確立は常に半々だ。本命とか対抗馬とか穴馬とか、あんなもんは全部飾りなんだよ。最弱の馬も、常勝の馬も、勝つか負けるかは常に50%だ。ということはだ、そこに気付いて常に万馬券を狙い続けている俺はその時点で既に勝者なわけだが、どういうことかてんで金持ちになる気配がない。しかし、しかしだ、今日というこの瞬間に、やはり俺は正しかったということが証明されたのだぁ」
興奮している辻さんの気持ちが伝播して、青森も目を輝かせる。
「い、いくら儲かったんですか。280倍なら、うーん300万円とかになっちゃんですか」
「え、いや、かってない」
「え、たった今、勝ったっていってたじゃないですか」
「いや、買ってないんだよ、馬券を」
少し輝いて見えていた辻さんの顔は一瞬にして、元通りの薄汚い顔に戻った。
「いや、ほら、当たってることは確かだよ。コジマサンダオーが一着に入るって、ほら赤ペンで丸く囲ってあるだろ。そしてその馬が一着になった。ほらさ、あーもう、ごたごた言わずによぉ、万馬券祝いに飲みに行こうぜ」
青森は乾ききった砂漠のような目線で、必死に弁解する辻さんを突き刺して言った。
「辻さん儲かってないならどうせまたお金ないんですよね、僕だってもうお金ないですよ」
青森の声は辻さんの耳に届いたのか届かなかったのか、結果として強引な辻さんに肩を抱かれて連れて行かれてしまった。
「しょうがない、今日はあそこに行くか」
辻さんの足は公園の出入り口ではない奥地へと向かっていた。

 

青森が辻さんに引っ張られて辿り着いた先は、公園の端っこのダンボールハウスだった。
このダンボールハウスはなんですか、と聞く間も無しに辻さんが扉を威勢良く開いた。外の太陽光の漏れカスで、ぼんやり暗い室内のホコリがキラキラと輝いた。
入る前に外から見たこの建物は正真正銘ダンボールで作られた小屋だった。しかし内側は意外としっかりした作りで、ぱっと見ならば室内の暗さも効果的に作用してちょっとしたバーの店内ように見えなくも無かった。
この部屋の主と思われる人物が2人をちらりと確認すると、グラスを磨きながら低く抑揚のない声で喋る。
「外がやたらに騒がしいと思ったんです。やはり辻さんでしたか」
「おいおい、この店で一杯やろうってお客様がやってきたんだ。もっと明るく迎えられないのかよ」
辻さんはずいとカウンターまで進み、腰の位置まで積まれた週刊少年ジャンプに座る。青森の方を振り向き、隣にこれまた腰の高さまで積まれた週刊少年マガジンのタワーの頭頂部をぽんぽんと手で叩いた。
青森はそこに座れといってるのだなと理解し、同時に週刊少年ジャンプと週刊少年マガジンを素材にしたそれぞれのタワーはここでは椅子としての役目を与えられているのだということも把握する。座る前にふと一番上のマガジンを見ると、それは実に5年も前のものでその時期にマガジンを愛読していた彼にとっては表紙を彩る懐かしのマンガタイトル達に胸を躍らせたが、紐で頑丈に括られ読むことができなそうなのでバランスをとりながら静かに座りあたりを見回した。
いい感じに装飾が施されていて、四方八方全てがダンボールで作られているとは気付かない。それでもよく見ると扉のダンボールはカップヌードルのダンボールではあったし、椅子だって先ほど見た通り少年誌で作られたものではあるのだけれど。
キョロキョロしていると青森に辻さんが説明する。
「ここは、ダンボールバーってんだ。で、このマスターが徳べえ」
「ダンボールバーって、そのまんまの名前ですね」
徳べえが苦笑いして反論した。
「いや、一応ちゃんとした名前もあるんですけどね。それよりも辻さん、このお客さんは」
「ああ、こいつは青森クンだ。それよりそれよりもだ、万馬券大当たりだ。それで今日は祝勝会として来たわけ」
「ほうほう、そりゃおめでたいですね。そんなこと言ってもサービスしませんよ」
「おおい、信じてないだろ。ほらほら、コジマサンダオー、一着だっただろ」
「で、馬券はどこですか? また買ってないんですよね。なにせ辻さんが勝ったって言うときは、いつも馬券を買ってないときですからね」
ハナから確信を突かれた辻さんは、両手を胸に当てドキリというポーズをする。青森は、そのリアクション、古いです!っと心の中で突っ込む。
買わなかった言い訳をする辻さんの中身も筋も理屈もない話をバックミュージックに、徳べえはカクテルを作り始めていた。注文なんて2人ともまだしていなかったけれど、それは必要はないことだった。なぜなら、このダンボールバーには飲み物は一種類しかない。
徳べぇはさすがに馴れた動きでダンボールバーオリジナルのカクテルを作る。ワンカップのコップ酒をシェイカーに入れ、あとはシャカシャカとそこだけ格好よくバーテンを気取って、はい完成。シェイカー使う必要ないのでは、という声は多数あれど、そのときだけ徳べえの耳はやたら遠い。
完成した特製カクテルをカウンターに並べながら、青森にふと確認するように聞く。
「ん、青森クンは見たところかなり若く見えるが、未成年かい? 」 
「あ、はい」
「じゃ、お酒は駄目だね。他には水しかありませんが」
「徳べえは堅い! んなもんいいじゃんかよ」
「駄目です。それよりも、君は若いのにどうしてこんなところに」
「そういや、そうだ。お前なんでホームレスなんてやってんだ」
「え、いや、ホームレスというわけでは」
「ん、辻さん、もしかしたら、この少年の答えによっちゃあ、誘拐の容疑であなたを警察に突き出さねばならないことになりそうですね」
徳べえの目は半分冗談のようであったが、突然そんなことを言われた辻さんは目を大きくひん剥いて青森の肩を揺さぶる。
「おい青森クン、俺が聞いたときに帰る家ないって言ったじゃんかよぉ」
青森はぐらぐら横に揺らされながら、うつむいたまま首を縦に振る。
「はい、確かに。帰る場所はもうありません」
どんよりとした青森と対照的に、ほら見たかとはしゃぐ辻さんを見て、徳べぇがチクリと刺す。
「で、その帰る場所を失ったいたいけな少年にあんたは酒代をせびったと言う訳だ」
「ギクり。いや、お酒いっぱいだけだよ、だって出会いって大切じゃん。いちごいちご」
「一期一会ですか。まぁ、その点について深く追求したいところですが、まずは青森クン、君がどうしてこんなところにいるのかが先ですね。服装から判断するに、そこまで貧しそうには見えない。帰る場所だってちゃんとあるのではないかな」
青森はなにかを言おうとしたが、その何かがあまりにも粘りっこくと上手く喉を通過しない。なぜか徳べえのボルテージが上がってくる。
「僕はホームレスであることに絶望もしていないし、後悔もない。それでも君がホームレスになるには早すぎると思うんだ。ここは人が辿り着ける最後の場所だ。そう、言ってしまえば、ここは海!」
クールで物静かなバーテンだった徳べえが、身振り手振りを着け熱弁している。青森はこの変化に少し驚き、助けを求めるように横目で辻さんを見るが、一度スイッチが入ってしまったら徳べぇは止まらないということを知っている辻さんは、いつの間にか静かに席を立って店内のお酒を漁っていた。
「青森クン、わかるか、海だよ、海。いや、君が思っていることもわかる。確かに僕ら生命は海から生まれた。そう、海は僕らの母だ、帰る場所だ。しかし、帰ることはいつでもできる。川から海へは自然の流れる摂理に身を任せるだけでいい。だが、海から川へ行くことはとても難しいのだよ。まだ君には早い、まだ君にはふさわしい場所がある」
徳べえがほとんど息継ぎもせずに永遠と語る。その暑苦しい説教に影響され、青森の粘っこいものも喉を通過して口に達する。
「でも、僕にはもう家には戻れないんです」
突然の反論で演説を中断させられた徳べえは少しの間を生んだが、微笑み問い返す。
「なぜ」
「みんなを裏切ってしまったから。たぶんもう僕の居場所はありません」
「それだけじゃあ、わからないよ。一から詳しく話してくれないか」
「僕、青森出身なんです。あ、だから辻さんから青森クンって呼ばれてるんですけれど」辻さんの名前が出るも彼は、すでに一人晩酌モードでちびちびと酒をあおっている。
「それで大学受験のために上京してきたんです。東京ってところに初めて来て、なんだかよくわからんくなってしまって、受験当日も同じで。結局、力の10%も出せませんでした」
「そんな一度の受験の失敗なんて世の中に万とある話ではないですか」
「うちは貧しい家なんです。高校までの費用も上京のためのお金も今回の受験費だって、いつもギリギリのところで捻出していたはずです。それなのに僕はすべて無駄にしてしまって。もう青森に戻ってもろくな就職もできません。戻ってもこれから先ただ迷惑をかけてしまうだけです」
「ということは、受験でこっち来てから一度も帰ってないのですか? 家族に連絡も入れず? 」
「何を言ったらいいか、時間が過ぎるほどにわからなくなってしまって」
「それは家族は心配してますよ。何を言っていいかもなにもないでしょう。こんなところで連絡もせずにウダウダしていることが一番の親不孝ですよ」
「いや」青森の声に被さる様に女性の声がする。
「いや、心配なんてしてないね。徳ちゃんは甘いよ」
青森が振り向くと小さなばあさんが立っていた。店のドアが開いたことなど、ここにいる3人の誰もが気付いていなかった。
「おぉ、絵本さんじゃないか」
ちょっと酔い初めてきている辻さんが親しそうに声をあげる。徳べえも、そちらの椅子にどうぞと週刊少年チャンピオン製の椅子を促す。絵本さんと呼ばれる婆さんはどうやら2人の顔馴染みのようで、手に持った絵の具セットとスケッチブック、その呼び名から察するには絵本を書いたりする人なのだろうか。彼女は、手だけの軽い会釈を済ますと座りながら青森の顔をちらりと見て、片眉をピクリと上げる。
「坊や、見ない顔だね。まぁ、そんなことはいい。徳さんみたいな万年独身の夢見がちなハッピーマスターにはわからないだろうけどね、家族なんてのは幻なんだよ」
「相変わらず絵本さんは厳しいですねぇ」
苦笑いしながら徳べえは新しいカクテルを作る。
「厳しいもんかい。何のために家があると思うよ。人と人との繋がりなんて脆いもんなんだよ。家族だって同じだよ。だから家みたいな箱で、かろうじてその姿を留めているんじゃないか」
「そんなことはないでしょう」徳べえが反論しようとしたところで、ダンボールバーの扉が勢い良く開いた。
「え、警官」辻さんは開いた扉に立つ男を素で二度見して、そうつぶやいた。
「警官?」と青森。
「ただの変態だろ」と少し間を置いて絵本さん。


バーの4人の視線は、突如現れた男に注がれていた。
「警官だ」と辻さんはつぶやいた。
「警察?」と青森は首を傾げた。
「変態だろ」と絵本さんは言い切った。
その男は、頭の上にはあの警察の青い帽子が乗っかっているものの、そのほかの全てが足りていなかった。つまり本来警官が身に着けている警棒やピストルを持っていなくて、というより制服を着ていなくて、そもそも服自体を身に着けていなかった。彼は上半身裸で下半身にはかろうじて紺色のトランクス一丁という格好で、真っ青な顔をしていた。
「すびばせん。たすけてください」
鼻水を垂らして泣きながら助けを請う警官に、徳べえがちょっと不機嫌そうに答える。
「とりあえず助けるもなにもこちらとしては何一つわからないので、きちんと説明してもらえますか」
青森は、徳べえの不機嫌が突然の男の訪問で自分の話を遮られてことによるものだと思ったのだが、よく見ると辻さんも絵本さんも苦々しい顔をしていてバー全体に重苦しい空気が立ち込めていた。
「徳べえ、話なんて聞く必要ないだろ。いつも俺たちを粗大ゴミにように扱う警察官様がノコノコやってきて、なにを言うかと思えば助けて下さいだと? 」
「そうだねぇ。とりあえず寒そうだから、絵の具で服でも描いてあげようかねぇ」
辻さんと絵本さんが無邪気に笑いながら迫るとボロボロと本泣きで謝った。
「ごめんなさい。ごめんなさい。僕だって、いつもは仕事だからやっているんです。別に好き好んでやっているわけじゃないんです。あなたたちと違ってお金を稼がなきゃ生活できないんですから、仕方がないじゃないですか」
「てめぇ、喧嘩売ってんのか」
辻さんはお酒も入っているせいか、かなりヒートアップして今にも殴りかかりそうな勢いで相手に突っかかっていった。徳べえも絵本さんも、裸の警官の最後の言い草にはかなり腹を立てているようだったが、このままでは騒ぎが大きくなってしまいそうなので、一旦辻さんを抑える側に回る。青森は目まぐるしい展開に何もできず、ただ立ったり座ったりを繰り返していた。

「さあ、じゃあ、なにがあったのかを聞かせてもらいましょうか」
徳べえがカウンターの向こうに戻り、裸の警官に聞いた。辻さんは2人になだめられて椅子に座っていたが、今も相手を睨み続け、なにかのきっかけがあればすぐにでも飛び掛りそうな様子だ。青森も絵本さんも元の椅子に座り、扉の前で正座する相手に向き合って話を聞く体勢を取っていた。
4人の視線を一身に浴びて、自分が半裸なこともあってどこか所在なさそうな警察官は目の前の床を見つめながら口を開いた。
「実は見てのとおり身ぐるみをはがされてしまいまして」
辻さんはそれを聞いて、「がはは、警察官が身ぐるみはがされてりゃ世話ねぇな」と笑いながらなじった。
青森も今の時代に身ぐるみをはがされて実際に服まで持ってかれちゃう人間を初めて見たなと思ったが、少しずつ冷静になるにつれて、トランクスひとつで警察帽を被っている姿の面白みに気付き始め思わず吹き出してしまった。
裸の警官は顔を上げて、キッと4人の方を見つめ直して強い声を出した。
「僕は騙されたんです」
その強く真面目な主張に、笑っていた青森も辻さんも我に返らされてしまった。

裸の警官は一連の出来事を説明した。彼の名前は橋口。どうやら巡査らしい。彼には3年間付き合った女性がいて、昨月婚約をした。その女性はベトナムという名前で、フィリピンからの出稼ぎでこちらに来ていた。言葉の壁があったものの、とても気立てが良く、細かいところまで気が回る性格に橋口巡査はメロメロになったということだ。その後、ベトナムがいかに素晴らしい女性かの説明が30分ほど続いたのだが、そこら辺は事の顛末とは関係なさそうなのでカットする。とりあえず橋口巡査がベトナムさんにベタ惚れなこと、愛に国境が無いということだけはわかった。
事件は、ほんの少し前、いつものように近所のパトロールをしていたところで起こった。橋口巡査が公園で見知らぬ男と話しているベトナムさんを発見した。その段階では特に不審には思っていなかったのだが、橋口巡査を見たベトナムさんの顔からは一気に血の気が引けていくようだった。逃げ出したベトナムさんを追い問い詰める。当初、浮気的なことかなと思っていた橋口巡査も、話を聞くに従って顔から血の気が引いて行くのがわかった。
結論から言ってしまえば、結婚詐欺。その詐欺グループの元締めとベトナムさんが打ち合わせをしている場面に偶然出くわしてしまったらしい。橋口巡査から言わせれば、そんな大事な密会を近場の公園でやるなよとトンチンカンなことを思いつつ、それどころではない重すぎる事実に打ちひしがれた。さらに不幸なことに、橋口巡査が警官の格好をしていることに詐欺グループも危機を感じたのか、先ほどの男と他数名に取り囲まれ公園の見えにくい場所に止められていたワゴン車に連れられて身ぐるみをはがされてしまった。これからさぁ、どこに連れて行こうというすんでのところで命からがらそのワゴン車から抜け出し、このダンボールバーに逃げ込んで来たという訳だった。
一通りの話を聞い終えたところで、徳べえは質問した。
「一連の流れはわかった。ところで助けて欲しいってのは何だ」
「図々しいお願いなんですけど、交番まで戻る服を貸してもらいたいんです。この格好じゃ、やつらに見つかってしまうかもしれないし、僕自身が警察に捕まってしまいます」
「はぁ、ホームレスにものを借りるって? 幾ら出してくれんだよ」と辻さんは親指と人差し指で円を作ってひらひらさせた。
「いいよ、汚い服しかないけど、好きなのを持って行きな」 
警察の味方すんのかよ、舌打ちをして睨んでくる辻さんを、徳べえはまぁまぁと手でジェスチャーしつつ、ダンボール箱から服をいくつか取り出して橋口巡査に放り投げた。
「ありがとうございます。明日、すぐに返しに来ます」
橋口巡査は一番汚れの少ない服に袖を通して、これは明日戻ってくる証としてここに置いていきます、と警察帽を置いて何度かお辞儀をしつつダンボールバーを出て行った。

「ほら、やっぱ家族なんて幻に過ぎないって」
橋口巡査が出て行った後で絵本さんがそう口にする。
「いや、あれは例外でしょう」と徳べえが即座に返し、先ほどの言い合いが再開された。
「だから愛があれば」
「ふん、愛なんて幻想を抱ける相手なら誰だって」
「え、え、俺はひとりはやだよぅ」
喧々諤々と全く噛み合わない話を3人が続ける中、青森は相槌を打ちながら、ひとり実家に思いを馳せていた。
連絡を絶ってから時間が経つにつれ、音信不通という相手にかける迷惑が加算されていき、連絡をとることがさらに難しいものとなっていく。優しい母や姉、厳しくも温かい父、みんな僕のことを待ってくれているのだろう。しかし、問題はその後だ。僕はどうやって恩返しをしていけばいいと言うのだろう。
運動もろくにできず、人付き合いも苦手、少しだけ得意だった勉強だけに全てを捧げてきた。親孝行できるような大学に入って、迷惑をかけた分だけ取り返せるだけの大企業に入る。そんな未来を目指してきた。
まら来年受験すればいい? それは無理だ。そんな余裕もお金もうちにはない。もう限界なんだ。僕はお荷物になってしまったんだ。

 

ダンボールバーでの酒宴兼討論会がお開きになるころには、夜の闇はすっかりと公園を覆い、会社から帰宅する人々すらもあまり見かけない時間帯になっていた。
青森が物思いの種を引きずりながら店を出た途端に、後ろから辻さんに抱きつかれ寄っかかられた。
「青森クン、なんで置いていくんだよ。一緒にかえろうよー」
「一緒に帰るって辻さん、家なんかないじゃないですか」
「じゃ、あそこのベンチで寝るべ」
グデングデンになった辻さんを引きずって、ベンチまで歩く。この季節なら外で寝ても大丈夫だろう。辻さんは警察帽を被っていた。
「辻さん、重いですよ。少しは自分ひとりの力で歩いてください」
「にゃにおう、こちとらしっかり歩いてるわ。それにしても絵本さんといい、お前といい、ひとりひとりって、人の繋がりってそんな簡単に消えちまうもんなのか」
辻さんでもそんなこと考えるんだなぁと思いながら歩を進め、普通に歩く何十倍の時間をかけてベンチまでたどり着いた。
「着きましたよ」
「うむ、ご苦労。ほめてつかわす。今日は朝までここにいてもいいぞ」
「はいはい、どこにも行きませんよ」
青森がめんどくさそうにすると、少し間があって辻さんがボソリと言った。
「徳べえはさ、ずっといっしょにいてくれると思うんだよ」
そんな風に当てつけがましく言わないでも行くとこだってないし、朝までここにいますよと思ったが、どうやら辻さんは今夜のことではなく、これから先の未来の話をしているのだろう。
「確かにさ、ホームレスになった途端に今までの人たちは全部、ぱーっと俺の目の前から消えましたよ。ぱーっとな」辻さんはベンチにごろりと寝転がりながら、空に向かって吼えた。
「でも、徳べえはさ、そんな俺とも、だからさ、なんだろ、あれだよ」とムニャムニャ言いながら寝むってしまった。
「ずっと一緒にいられるといいですね」
青森は辻さんに向かって言うでもなくつぶやいて、隣のベンチで膝を抱えて眠りに落ちた。

 


橋口巡査がやってきたのは、次の日の夕方だった。
彼が帽子を取りに戻ってくるのだろうということで、昨日ダンボールバーにいたメンバーは今日もなんとはなしに集まっていた。今日は天気が良く綺麗な青空だったので、ダンボールバーの中ではなく、その周りで各々ベンチに座るなり、原っぱで転がるなりしていた。警察帽はいつの間にか絵本さんが被っていた。
空がなぜ青いかについて討論していた徳べえと絵本さんだったが、橋口巡査の姿を見て一時休戦する。
「お、来たな」
彼は半裸でなく新しい制服に身を包んでいたが、顔は昨日と変わらず青白く、開口一番こう言った。
「僕、やっぱもう駄目です」
いきなりそんなことを言われて4人がポカンとしていると、彼はその場に崩れ落ちて泣いた。
「ベトナムがいなくなったら僕もう駄目なんです」
「こりゃどうしたんだ」と辻さんが訝しげに彼の顔をのぞき込むと、
「ハートブレイクの痛みは銃で撃たれるよりもドギツイもんですよ」と徳べえが手で銃の形を作ってバンと撃った。
絵本さんは被っていた警察帽をもてあそびながら、やれやれといった顔をして徳べえに向かって言った。
「幻なんかにすがって生きてるとこうゆう目に遭うんだよ。徳べえ、キツイ酒でもひとつくれてやりなよ」
徳べえがダンボールバーからお酒を持って来てぼろぼろに泣く橋口巡査に渡すと、彼は手でそれを遮りむせび泣いた。
「そんなお酒なんかじゃ僕の未来は変わりません。ベトナムがいない人生なんてどうやって生きていけば。彼女は僕の人生の全てだったのに。あの日々が全部偽物だったなんて」
「そんなことないですよ。ねぇ」
青森は大人のこんな姿を見たことが無かったのでオロオロと下手な慰めを言って、他の3人に助けを求めたが、誰もが彼を慈しむような目で見つつも駄々っ子を相手にしているような困り果てた表情で固まっていた。
「そうだ」突如泣き止み、立ち上がった橋口巡査は冷静に言った。
「もう生きている意味なんか無い」
ふらふらと腰のホルダーからピストルを抜いて、自分のこめかみに押し当てた。
「ちょ」
徳べえは急いで橋口巡査に飛びかかり、ピストルを奪い取ろうとする。
辻さんはピストルに驚いてあたりを駆け回る。
もみ合いの中、パンと銃声がひとつ鳴った。
パタパタと公園中の鳥が羽ばたいた。

橋口巡査は徳べえに万歳をした格好で上から取り押さえられ、ピストルの銃口もあらぬ方向を向いていた。飛び出した弾は、ダンボールバーの壁に小さな穴を開けた。
銃声で少し落ち着いたのか、彼の右手からピストルが離れた。地面に転がったピストルを拾いながら絵本さんが言う。
「死ぬのは勝手だけど、ひとんちの庭でやるのはやめて欲しいね」
徳べえは橋口巡査を掴む手を離し、立ち上がって乱れた服装を少し整えた。彼もよろよろと立ち上がった。
「死んでどうすんだよ」
「どうもしません。ただもう生き続けることをやめるだけです」
絵本さんは手に入れた銃を隅々まで検分しながら言う。
「たった一人との関係でそんなこと言ってたら命なんていくつあっても足りないね」
「君は勘違いしてるよ。人との繋がり方はひとつじゃない。会うことがなくなっても、話すことがなくなっても、繋がりは途切れはしないもんだよ」
「そんな薄ぼんやりした。僕は君たちとは違うんだ。ただ日々を無為に過ごして生きていけるような人間とは違う」
それを聞いて、ピストルを子供たちに見せてはいけないとガアガア言いながら近くにいる子供たちを追いやっていた辻さんが、おもむろに橋口巡査の方に歩いていき胸ぐらを掴む。
「てめぇ、いい加減にしろよ。自分だけが悲劇の主役をきどんじゃねぇ」
「これが悲劇じゃなくてなんなんですか」
「このやろう、目覚ましてやる」
徳べえがその後ろから不意に言い放った。
「わかった。そんなに死にたいなら僕が死なせてあげよう」
青森も辻さんも絵本さんも驚いて、徳べえの顔を見た。橋口巡査すらもどこかしら戸惑った表情をしていた。

 

みんながぽかんとしている中で、徳べえはダンボールバーに戻ってなにやら準備を始めた。
「おーい、青森クンちょっと手伝ってくれ」
青森は手伝いを頼まれ、一緒に小さな机やらなんやらを外に並べた。一通り準備がそろうと
橋口巡査を呼んで徳べえが言う。
「ただ自殺するって言うんじゃ、みんなに迷惑が掛かる上にワイドショーすら食わないよ。それなら最後に僕と勝負してみませんか」
徳べえは不敵な笑みを浮かべてそう言った。青森は徳べえの真意を図りかね、説明の続きを待った。橋口巡査も、他の者も、同じように徳べえの顔を見て、次の言葉を待っているようだった。
「難しい勝負じゃない」絵本さんからピストルを取り上げ、自分のコメカミに押し当てる。
「ロシアン・ルーレットですよ」
突然の提案に誰もが言葉を失った。
「ただし銃は使わない。後始末が面倒なことになりますからね。だからその代わりにこれを使う」と言って、先ほど用意したテーブルを示した。上にはコップが2つ置かれている。
「ここに2杯のお酒があります。片方は普通の当店特製カクテルですが、もう片方には致死量を超える毒物が混ざっている。これは末期的な病状のホームレスたちを静かな安らぎの場所に帰してあげるために僕が作ったカクテルでね。こんなことに使うつもりはなかったんだが、そんなに死にたいのならしょうがない。この内ひとつを選んで飲むといい。残りは僕が飲む。君が望む場所に行けるかどうかは運命に決めてもらおうじゃないか。どうだい、今なら辞めてもいいが」
橋口巡査はそう言われて少しの戸惑いを見せた。しかし、唇を噛んでテーブルの前に進み出る。
「もちろんやるに決まっています」
「よし、じゃあ始めようか」
「待った。ちょっと待った」
勝負の始まりにストップをかけたのは辻さんだった。
「それ、もしかしたら徳べえは死んじまうってことだろ。なんでこんなやつに付き合って死ぬ必要があるんだよ」
「僕は生きたい。だから死なないよ」
「なにを言ってるんだ。2分の1だろ。死んだらダンボールバーはどうする? この俺はどうする? 」
「いらない心配だけど、そしたらダンボールバーは辻さんに任せようかな。俺はどうするって、どうもしないさ。それとも僕がいなくなったら、この人みたいに死を選ぶつもりかい」
「馬鹿野郎。そもそも役割が違うってんだよ。2分の1の勝負なら、この賭博師辻伸介の出番だろってことだよ」
辻さんは徳べえを突き飛ばして橋口巡査と向き合った。
「ということで対戦相手が変更になった。勝負なら俺は負けねぇぜ。本当に死ぬ準備はできてるんだろうな」
「まぁ、ベトナムがいない世界に未練も帰る場所もないからね」
突き飛ばされた徳べえは頭を掻きながら困った顔をしたが、辻さんを止めようとはせずに尻餅をついたまま成り行きを見ていた。
青森は橋口巡査の言葉に自分を重ねる、自分にだって帰る場所はない、それならこの勝負は自分と橋口巡査がやるべきではないのか。そう思いたち前に進みかけたが、隣にいた絵本さんに強く腕を握られて、小さな声で「坊やは黙って見てな」と釘を刺された。
すでに勝負は始まり、辻さんは見たことのない真剣な表情になっている。
「先、好きな方選んでいいぜ」
橋口巡査は一度奥に置かれたコップに手を伸ばし、少し迷った後で手前の方を選ぶことにした。
「こういう勝負は迷った方が負けるんだぜ」と辻さんが残った方のを手に取った。
「僕は負けるためにやってるんです」
「あぁ、そうか」
オレンジ色に染まり始めた日の光でコップの中身を透かして見ながら、興味無さ気に返事をした。
「見た感じはどっちも普通の酒とかわんねぇな。あ、そうだ」
辻さんはコップを持ってない方の手を顎に置いて目をつむる。少しばかりの時間、うんうんと唸ると目を開け、口を開く。
「我が人生、重さ量ればいかほどか、手にする酒のほどもなしかな。と、よし、徳べえ今のが俺の辞世の句だ。覚えておいてくれ」
徳べえは手をあげ、それに答えた。
小さなテーブルを挟んだ辻さんと橋口巡査は互いに相手から視線を外すことなく微動だにしない。2人ともすでに唇はカサカサに乾いていたが、コップの中の水分を取ろうとはしない。
緊迫感に耐えかねた橋口巡査がコップを持ち替え、手の汗をズボンで拭う。
「何かの合図で同時に飲みませんか」
「そうだな。じゃあ、3つ数えたら飲むことにしよう」辻さんは絵本さんの方を見て「3つ数えてくれ」と頼んだ。絵本さんが頷くのを確認すると、相手の方に向き直る。
「それじゃあ、数えるよ」
少し風が出てきた。絵本さんのぼさぼさの髪がばさばさと風に舞う。
青森は今から始まる勝負の重みも何もわからずに、ただ呆然と2人の姿をその目に映していた。なぜこんなことになっているのか。なぜこんな馬鹿げた勝負を誰も止めないのか。こんなことで人の命をかけていいのか。会って間もないとは言え辻さんが死ぬのは嫌だ。そもそも人が死ぬのなんか見たくない。こんなの、止めなきゃ。
しかし、生き続ける重みを失った彼には、この場で発することのできる言葉も行動も持っていなかった。ただ震え、ただ見ている。
「1」
しわがれた絵本さんの声が響いた。
生死を賭けた2人の緊迫感は度を増していく。
「2」
2人の体は微動だにしない。
どこかワクワクしている辻さんの顔。
すでに何かを諦めているような橋口巡査の顔。
風にあおられた草花だけが、サササと揺れる。
「3」
声が青森の耳に届く。同時に2人の腕が動くのを見た。
2人は唇にコップの縁を寄せ、一気に液体を体の中に流し込んだ。
橋口巡査の顔が歪み、苦味を感じさせる。
辻さんがそれを見て、唇の端を上げる。ニヤリと顔を崩す。そしてそのまま前にゆっくりと倒れた。
「辻さん! 」
青森は叫んだが、その声は届いたのか、もう届くことはないのか。
「なんで僕じゃないん・・・」と最後まで言い切ることなく橋口巡査もテーブルの上の辻さんに折り重なるようにして倒れた。
徳べえは驚くことなく、静かにそれを見ていた。

 

あれから少しばかりの時間がたった。
公園に吹く風は止み、青森は少し暑苦しいなと感じた。空はすでに闇夜ではあったが、雲が見えるほどの明るい空に三日月未満の薄っぺらい月が、それでも強く明るい黄色で空にぶら下がっていた。
対決が行われたテーブルはすでに片付けられていた。
2人はダンボールバーの横に静かに並べられている。
その向かいで、青森は絵本さんが絵本を朗読するのを聞いていた。徳べえは銃弾に打ち抜かれたダンボールバーの壁を修復している。
「うう…」
低く小さなうめき声がする。青森がそれに気付き、倒れた2人の元へ駆け寄った。
橋口巡査の腕がゆっくりと動き、ぼんやりと目を開いた。
青森がその顔を覗き込んで声をかける。
「あ、おはようございま―」
おはようございますと言い切る手前で、わわっと口をつぐむ。2人が倒れている間に徳べえから言われていた事を思い出し、
「おかえりなさい」
と言い直した。 
目を開けた途端に、おかえりなさいと言われた橋口巡査は
「ただいま」
と条件反射で返した。
返した後で、隙間がほやほやしている脳味噌にたくさんの疑問が湧いてくる。
「あれ、僕は毒入りのお酒を飲んで死んだはずではないのか」
絵本さんが橋口巡査の心の声を代弁し、映画の吹き替えのように情感たっぷりに語りあげた。
修復作業をしていた徳べえが、作業を中断して声をかける。
「おかえり。どうですか、一度死んだ気持ちは? 死後の世界の面白い土産話でもひとつ披露してもらえませんか」
橋口巡査がますます困惑した頭であたりを見回すので、2人が倒れた後に徳べえから全ての話を聞いた青森が説明する。
「最初からどっちのコップにも毒なんて入ってなかったんですよ。その代わり両方にちょっと強めの催眠剤を入れておいたみたいです。本当は辻さんじゃなくて、睡眠薬に耐性がついてしまっている徳べえさんが飲む予定だったんですけどね。あ、そもそも死んじゃうカクテルは作り話だそうです」
少しずつ覚醒していく中で橋口巡査はその話を複雑な表情で聞いた。死ねなかった悲しみか、生きている喜びか、青森には判断することはできなかった。彼自身にもわからないのかもしれない。ただ口からは無意識に言葉が出る。
「どうしてそんな。僕は死にたかったのに」
徳べえは壁の修復を再開し、橋口巡査を見ることなく言う。
「もう死んだんですよ。そして、また始まったんです。そういうことでいいじゃないですか。何度でもおかえりとただいまから始めればいいんですよ」
絵本さんが、難しい顔をした橋口巡査に向かって被っていた警察帽を放り投げた。
「とりあえず交番に戻んな。仕事中だろ。まだあんたには、おかえりと言ってくれるやつがいるはずだよ。まぁ、それにどう答えるかはあんた次第だけどね」
橋口巡査はその帽子をキャッチして元のあるべき場所、自分の頭に被せた。口を開き、何かを言わんとしたが、みなの視線は彼を飛び越し、その奥に集まった。まだ寝ていた辻さんがムクリと上半身を起こして、キョロキョロと辺りを見回したと思ったら突然飛び上がり騒ぎ出したのだった。
「ちくしょー死んだかー! こりゃー、なんだぁ、今は幽体離脱してる状態なのか」
青森が笑顔で手を振る。
「おかえりなさい。辻さん」
「なんだお前、俺が見えるのか」
「違うんですよ。死んでないんです。毒の代わりに睡眠薬が入ってたんです」
「なにぃ。じゃぁ、今まで寝てたってわけか。ん、ということは、結局勝負には負けたって言うことか!」
「いや、」説明を続けようとする青森を大きな手で遮る。
「ということはということは、勝つか負けるかは50%なんだから、もう一回やれば次は絶対勝てる」
辻さんは整っていない顔をニタニタっとさらに崩し、人差し指をピンと立てて言う。
「橋口、もう一回勝負しようぜ」
橋口巡査は笑いながら、その申し出を丁重にお断りして公園を出て行った。

 

<一覧に戻る>