『みにくいあひるの子』

「僕は、白鳥、なんだ・・・。」

アヒルの村で、アヒルたちと一緒に育てられた彼は、あるときその事実を知ることになりました。しかし、彼は白鳥がどんなものか知りません。彼にとって、白鳥という言葉の意味すること、それは母親の本当の子供ではないということ。一緒に育った兄弟達とは血が繋がっていないということでしかありませんでした。 ましてや、ここにいるアヒルたちとは同じ生き物ですらなかったのです。

その事実を知った瞬間に、今までの疑問が彼の中で一辺に解けてゆく気がしたのでした。兄弟が自分にだけ冷たいこと、なぜだかいつも孤独だったこと、アヒルの社会でどうしても上手くやっていけなかったこと。

彼が大人になったときには、もはやアヒルとははっきりと違う生き物になっていました。真っ白く美しい長い翼。華奢でありながら力強くたくましい両の脚。純白の陶器のような体。その姿は神々しさすら帯びていました。

そのときには、もう彼をいじめるものは一人もいませんでした。子供の頃にはことあるごとに彼を虐げてきた兄たちも、今では卑屈とも思える態度で彼に寄り 添ってきます。欲しいものはなんでも手に入るようになりました。大好物だった魚も今では毎日の食卓にならびます。メスアヒルたちは彼のご機嫌をとることに 躍起になっています。かつては見向きもされなかったどころか、喋ってさえくれなかったのですが。

それでも、彼の気は少しも晴れませんでした。

彼には、ずっと憧れていたことがありました。幼い頃、兄アヒルたちが楽しそうに遊んでいたあの光景。彼が決して入ることができなかったあの景色の中。一度で良いから、あの輪の中に入って遊びたいものだと常々思っていました。

ある日、彼は兄たちに頼んでみました。

「兄さんたちに頼みがあるんだ。兄さんたちが子供の頃に楽しそうにしていた遊び、今、僕と一緒にしてくれないか?」

兄たちは、笑顔のようではあるんだけど何処かに違和感がある表情、大人になった彼に対しては兄たちはいつもその表情ではあるのですが、彼が常々不快に思っていたそのいやらしい表情で、すっとんきょんな高い声を出して口々に言いました。

「おお、も、もちろん良いに決まっているじゃないか。」

「うん、でもなぁ。楽しいかなぁ。ああ、お前がやりたいというのならもちろん良いのだけれどもね。」

「そうだね。やろうよ。やろう。ちょうど俺もやりたいと思っていたところだよ。」

そう言う兄たちの顔を見て、すっと、彼の中で色んな期待や希望が溶けていきました。それはほんとに微かなもので、もともと失われた虹を探すような望みの薄い願望ではあったのですが。

「もういいよ。兄さんたち・・・。」彼は期待を捨てることにしました。

彼は、ただ普通に笑い合い、普通に会話をしたかったのです。「懐かしいな」って言える思い出が欲しかっただけなのです。

彼は、この白く長く美しい翼も、細長い高貴な両の脚も、このくちばしも、長い首も、羽も、なにもかもいらなかった。本当に何も欲しくなかった。逆に人と違う この体全てが恨めしかった。もしこの体がみんなと同じだったら、どれだけ人生は素晴らしいものであっただろうかと思うのでした。どんなに楽しい思い出がで きたのかと想像をめぐらしたりもしました。

でも、もうそんなこともどうでもよくなりました。

次第に彼は白鳥という言葉という意味を理解するようになったからです。

この翼は、アヒルたちより優れた翼。

この脚は、アヒルたちより綺麗な脚。

このからだは、アヒルたちより美しいからだ。

そんな風にかんがえるようになりました。

そもそも彼らとは住む世界が違ったのだ、と。

彼が、新しい世界へ旅立つことを決心するまでに時間はかかりませんでした。冬の澄んだ青空の日、彼は飛び立ちました。白い翼に真っ黒な心を運んで。

その後、噂で彼の姿を見たという話をちらほら耳にします。しかしアヒルで栄えていたあの村で、アヒルの姿を見たという話を聞くことは一度もありませんでした。

《終》

 

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